大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成2年(ワ)10518号 判決 1995年12月26日

第一事件原告・第二事件反訴被告・第三事件被告

吉野房子

右訴訟代理人弁護士

井口寛二

第一事件被告・第二事件反訴原告

株式会社オールファッションアート研究所

右代表者代表取締役

松本和雄

第三事件原告

株式会社バツ

右代表者代表取締役

松本和雄

右両名訴訟代理人弁護士

新井泉太朗

右訴訟復代理人弁護士(第一事件被告・第二事件反訴原告につき)・第三事件原告訴訟代理人

橋本賢二郎

主文

一  第一事件被告は、第一事件原告に対し、第一事件原告から金三〇〇〇万円の支払を受けるのと引換えに、別紙物件目録一記載の建物を明け渡せ。

二  第一事件原告のその余の請求を棄却する。

三  第二事件反訴原告の反訴請求を棄却する。

四  第三事件原告の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、第一事件原告・第二事件反訴被告・第三事件被告に生じた費用の一〇分の四と第一事件被告・第二事件反訴原告に生じた費用を第一事件被告・第二事件反訴原告の負担とし、第一事件原告・第二事件反訴被告・第三事件被告に生じた費用の一〇分の五と第三事件原告に生じた費用を第三事件原告の負担とし、第一事件原告・第二事件反訴被告・第三事件被告に生じた費用の一〇分の一を第一事件原告・第二事件反訴被告・第三事件被告の負担とする。

事実及び理由

(略称)以下においては、第一事件原告・第二事件反訴被告・第三事件被告吉野房子を「原告吉野」と、第一事件被告・第二事件反訴原告株式会社オールファッションアート研究所を「被告」と、第三事件原告株式会社バツを「原告バツ」と略称する。

第一  請求

一  第一事件について

1  主文第一項と同旨

2  被告は、原告吉野に対し、昭和六三年八月一日から右明渡し済みまで月一五〇万円の割合による金員を支払え。

二  第二事件について

原告吉野は、被告に対し、金六億四九二〇万〇六一六円及びこれに対する平成四年一一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  第三事件について

原告吉野は、原告バツに対し、原告バツから金二一〇〇万円の支払を受けるのと引換えに、別紙物件目録二記載の土地について東京法務局昭和五七年九月二九日受付第二二六〇七号の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1(当事者)

原告吉野は、株式会社吉野工業所の役員である。

被告は、原宿を拠点として、婦人服、紳士服、子供服等のファッション商品の製造及び卸業を営む会社であり、原告バツは、被告の子会社であり、両社とも松本和雄が代表者を務める。

2(売買契約)

原告バツは、木部政枝から、昭和五七年六月五日、渋谷区神宮前五丁目九番六宅地198.38平方メートルを買い受けた。

原告吉野は、右土地の隣地に土地を有していた。原告吉野所有の土地は表通りに接面していなかったが、原告バツが購入した土地の南角部分五坪程度を取得すれば、表通りに四メートルの範囲で接面することができることから、原告吉野は、その売却方を懇請し、原告バツとの間に、同年八月二三日、別紙物件目録二記載の土地(以下「本件土地」という。)を代金五一〇〇万円で買い受ける旨の契約を締結した。

3 (賃貸借契約)

原告吉野は、従来からの所有土地と本件土地を敷地として、左記の建物(以下「本件建物」という。)を建築し、昭和六一年五月三一日、被告に対し、本件建物の一階及び地下一階部分を、用途を事務所及びショールームとし、賃料一か月一五〇万円の約定で賃貸し、これを引き渡した。

所在 渋谷区神宮前五丁目九番地六

構造 鉄筋コンクリート造地下一階付三階建

床面積 一階 172.25平方メートル

二階 175.99平方メートル

三階 119.42平方メートル

地下一階 177.86平方メートル

4(使用禁止命令)

本件建物の敷地のある地域は、平成四年法律第八二号による改正前の都市計画法八条一項一号に規定する第一種住居専用地域と定められており、本件建物を事務所やショールームとして使用することは、平成四年法律第八二号による改正前の建築基準法四八条一項に違反し法律上できないところである。(なお、平成四年法律第八二号附則一条、四条により、平成五年六月二五日から起算して三年を経過する日までの間は、右改正前の規定はなお効力を有する。)

それにもかかわらず、原告吉野と被告とは、原宿という地域の特性上あるいは特定行政庁の従来の取締法規運用のあり方から見て、右規定に違反(用途違反)したとしても特定行政庁からの使用禁止等の行政処分を受けることはないであろうとの見通しの下に、被告が、事務所ないしショールームとして使用するという目的で、右3のとおりの賃貸借契約を締結したものである。

ところが、原告吉野と被告との右のような期待に反して、渋谷区長は、昭和六二年四月二二日、建築基準法四八条一項違反(用途違反)、五二条一項違反(容積率違反)等を理由に、同法九条七項の規定に基づき、本件建物の使用を禁止する旨命じた。更に、七月四日には、同法九条一項の規定に基づき、本件建物の使用禁止命令を発した。

二  争点

A(第一事件について)

1  原告吉野の主張(請求原因)

(一) 渋谷区長の使用禁止命令を無視してまで、本件建物の一階及び地下一階部分を、被告に事務所や店舗として貸与することは社会通念上許容できないので、行政処分が発令された昭和六二年四月二二日には、本件賃貸借契約は履行不能に至ったものというべきである。

(二) 履行不能となって本件賃貸借契約が終了したにもかかわらず、被告は、本件建物の一階及び地下一階部分を倉庫や喫茶店、ショールームとして使用している。本件建物の一階及び地下一階部分の相当賃料額は、一か月一五〇万円を下らない。

(三) よって、原告吉野は、被告に対し、履行不能による本件賃貸借契約の終了に基づき、本件建物の一階及び地下一階部分の明渡しと昭和六三年八月一日から明渡済みまで月一五〇万円の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  被告の主張

(一) 請求原因に対する反論

本件賃貸借契約は履行不能ではない。その理由は以下のとおりである。

(1) 特定行政庁による使用禁止命令により、未来永却的に本件建物の賃貸部分の使用禁止が確定するものではない。一定の是正措置が採られ、特定行政庁がそれを承認し使用を認めれば解消されるものである。

原告吉野は、被告に対し、昭和六二年六月一九日頃、右是正措置について、「容積率違反の点については本件建物の三階部分に抜本的改善を加えることにより渋谷区役所の了解が得られる見込みとなったこと、用途違反の点については一階及び地下部分の違反用途スペースを極力少なくすることにより事実上許しが貰えることになった」旨報告していた。これに対し、被告は、容積率違反は所有者である原告吉野の責任でそのとおり是正することを望み、用途違反については賃借人として協議する旨回答した。ところが、一〇月一六日頃には、原告吉野は右提案を撤回して、「容積率違反の点については地下部分の内三分の一を土砂により埋め戻すこと、用途違反の点についてはその余の地下部分は全て住居とすること」等を伝えてきた。これに対し、被告は、容積率違反の是正を当初の案のとおり本件建物の二階ないし三階部分の改善により行うことを要望したが、協議が整わなかった。

本件建物については、三階部分を一定面積使用しないこと(壊す必要はない。)や本件賃貸部分について形式上住居仕様の体裁を採ること等の是正措置を採りさえすれば、特定行政庁の使用禁止が解かれ、その使用が認められるにもかかわらず、原告吉野の賃借人の立場を全く無視する考えのゆえに是正ができないにすぎない。

(2) 本件建物の敷地は、本件建物建築当時は、平成四年法律第八二号による改正前の都市計画法八条一項一号に規定する「第一種住居専用地域」であったが、右改正による同法同条同項同号では、右「第一種住居専用地域」の分類が廃止されたため、渋谷区役所は、右改正都市計画法及び平成四年法律第八二号により改正された建築基準法の公布後、渋谷区内の用途地域の指定の見直し作業を開始し、平成六年九月、上級庁である東京都にその決定原案を送付し、平成八年六月までに都市計画が変更されることになっている。

渋谷区役所の右決定原案によると、本件建物の敷地は、右改正都市計画法八条一項一号に規定する「第一種中高層住居専用地域」となり、用途については平成四年法律第八二号により改正された建築基準法四八条三項の規定により床面積が五〇〇平方メートル以内のものならば店舗等を建築することができ、容積率については同法五二条一項二号の規定により二〇〇パーセントまでは許容される地域となる。

本件建物の賃借部分は、合計約335.43平方メートルであるから、用途違反はなくなる。容積率についても違反ではなくなる。そうすると、前記使用禁止命令は、遅くとも平成八年六月以降は当然に失効し、本件建物の使用は可能となるから、履行不能とは言えない。

(二) 抗弁

被告は、本件賃料月額一五〇万円を、昭和六三年八月分から現在まで東京法務局に供託しているので、原告吉野には損害がない。

B(第二事件について)

1  被告の主張

(一) 第一次的請求の請求原因

(1) 前記A(第一事件について)2(一)(1)、(2)のとおりであるから、本件賃貸借は不完全履行というべきである。

(2) (損害)

被告は、本件建物の賃借部分の使用収益が不完全であることにより、次のとおりの損害を受けた。

① 被告は、本件賃料月額一五〇万円を、昭和六一年六月分から昭和六三年七月分までは原告吉野に直接支払い、昭和六三年八月分から平成七年三月分までは東京法務局に供託している。(合計一億五九〇〇円)

② オープン費用及び人件費六五〇万円

③ 逸失利益

被告の営業上面積一坪当たりの最低見込み売上は月額三〇万円であり、そのうち四割が粗利益である。本件賃借面積は101.6坪であり、被告が営業できない期間は、昭和六一年六月以降平成七年一一月までの一一四か月となるので、

30万円×101.6×0.4×114か月=13億8988万8000円となる。

(3) よって、被告は、原告吉野に対し、本件賃貸借契約の不完全履行による損害賠償請求権に基づき、損害の一部である金六億四九二〇万〇六一六円及びこれに対する平成四年一一月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二) 第二次的請求の請求原因

(1) 原告吉野は、被告に対し、本件賃貸借契約に基づいて、本件建物の一階及び地下階部分を使用収益させる義務を負っており、前記A(第一事件について)2(一)(1)のとおり、二階あるいは三階部分を削ることにより使用禁止命令を解除することが可能であるにもかかわらず、平成四年八月までの本件裁判の和解期日において、右是正措置を講じることを最終的に拒否し、容積率違反の是正は不可能となり、本件賃貸借の履行は不能となった。

(2) (損害)

被告は、本件建物の賃借部分の使用収益が不能となったことにより、次のとおりの損害を受けた。

① 被告は保証金三〇〇〇万円を支払った。

② 前記(一)第一次的請求の請求原因(2)①と同じ。

③ 本件建物の内外装工事代金合計一億二九八五万〇三六三円

昭和六二年六月から平成四年五月までの金利三五七〇万八八五〇円

④ 前記(一)第一次的請求の請求原因(2)②と同じ。

⑤ 逸失利益

30万円×101.6×0.4×24か月=2億9260万8000円

(3) よって、被告は、原告吉野に対し、本件賃貸借契約の履行不能による損害賠償請求権に基づき、損害の一部である金六億四九二〇万〇六一六円及びこれに対する平成四年一一月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  原告吉野の主張(抗弁)

(原告に帰責事由がないこと)

本件建物には、容積率違反と用途違反との二つの建築基準法違反があるが、建築基準法は、容積率違反と用途違反とについて、その取扱い、効果等で差を設けている訳ではない。従って、本件建物は容積率違反が解消されても、用途違反がある限り、利用することができない。即ち、原告が容積率違反の本件建物を建てたことと、被告が本件賃貸借契約の内容のとおり本件建物を事務所、ショールームとして利用できないこととは何の関係もない。被告が、本件建物を事務所、ショールームとして利用できないのは、かかる利用形態が用途違反となるからに他ならない。

そして、被告は、本件建物を事務所あるいは店舗として利用することが、建築基準法四八条一項違反(用途違反)であることを熟知したうえ、本件賃貸借契約を締結したものである。被告は、原告から本件建物の一階及び地下一階部分の引渡を受けた後、昭和六一年六月頃から内装工事に着手したが、渋谷区長からの一一月二五日から昭和六二年三月二〇日まで九回にわたる工事の停止等の指示を無視して工事を続行し、事務所、店舗として使用可能な状態にした。被告は、違反建築でも完成し利用してしまえば、特定行政庁も使用禁止までは求めないであろうとの見込みの下にかかる手法を採ったものであり、特定行政庁の建築基準法の執行のあり方を読み誤ったに過ぎず、よって生じた損害は自ら負うべきである。

C (第三事件について)

1  原告バツの主張(請求原因)

(要素の錯誤)

(一) 原告バツが原告吉野に本件土地を売却するに際して、原告吉野は原告バツに対して以下の条件を提示した。

(1) 本件建物の一部を、優先的に原告バツの親会社である被告に事務所、ショールームの用途で賃貸すること。

(2) 本件建物と原告バツが隣地に建築する予定の建物とのデザイン上の調和を図ること。

(3) 右両建物の間に中庭を設けること。

(4) 将来原告吉野が本件土地を売却する場合には、優先的に原告バツないし被告に売却すること。

(二) 原告バツは、原告吉野が右各条件を確実に履行するであろうと誤信していたため、原告吉野との間で本件土地の売買契約を締結した。ところが、渋谷区長の本件建物使用禁止命令により、被告は、昭和六二年八月以降、本件建物の賃貸借契約に基づく使用収益ができない状態に置かれている。

(三) 原告バツは、本件売買契約当時、被告が本件建物の賃借部分を使用収益できないことになることを知っていれば、本件土地を売却しなかった。

(四) よって、原告バツは、原告吉野に対し、本件売買契約が錯誤により無効であることに基づき、五一〇〇万円の支払を受けることと引換えに、本件所有権移転登記の抹消登記手続を求める。

2  原告吉野は、原告バツ主張の事実を否認する。

第三  争点に対する判断

一  第一ないし第三事件に共通する事実経過について

甲一〇、一一、一三、一四の一、二、一五ないし一七、二一、二三、三六、五三の一ないし三、五四の一、二、乙二、一〇、一一、一四、一七、一八の一、二、一九、二〇、二八、二九、証人藤本肇、同松野林司、同小宮山昭、同豊田豊彦の各証言、被告兼原告バツ代表者本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

1  原告バツは、木部から買い受けた土地上に店舗兼事務所用ビルを建築する計画であった。原告吉野も、その隣地にビルを建築する計画を持っていたが、原告吉野所有土地は、表道路に接面せず、裏道路を利用して建築工事を行った場合には近隣との紛議が起こるおそれがあり、また建築費用も嵩むことから、原告バツ所有土地のうち表道路への接面に必要な南角部分の本件土地の譲渡を原告バツに懇請した。売買交渉上優位に立った原告バツの代表者松本は、まず売却代金について、木部からの買受代金の坪単価が四四四万円であったところを一〇二〇万円としたうえ、原告吉野側に対し、次のような要求をした。原告吉野が建築する建物(本件建物)の一部を、優先的に原告バツの親会社である被告に事務所、ショールームの用途で賃貸すること、原告バツが購入した土地上に建築する予定の建物と本件建物とデザイン上の調和を図ること、将来原告吉野が所有土地を売却する場合には、優先的に原告バツないし被告を売却交渉の相手方とすること、即ち、松本は、原告バツが建築するビル(以下「バツ建物」という。)と本件建物の一階及び地下一階部分を一体として、営業用の店舗兼事務所に活用することを図ったものである。原告吉野の代理人であった吉野工業所取締役経理部長市澤輝一は、本件土地を買い受けんがため、松本の右要求を承諾した。

その結果、原告バツは、原告吉野との間に、昭和五七年八月二三日、本件土地につき売買契約を締結し、原告吉野は、その旨所有権移転登記手続をした。

2  松本と原告吉野側とのこのような合意を踏まえて、昭和五八年八月三一日には、原告吉野の設計管理者松野林司一級建築士と被告側の小宮山昭一級建築士が両者の建築物の概要について打合せを行った。昭和五九年二月一六日にも、同様に右両名が今後の設計、施工の日程や外装の調和、建物各階の高さの統一等について打合せを重ねた。そして、原告吉野、被告とも白石建設株式会社に工事を発注することとした。このような打合せを踏まえて、本件建物について右同日建築確認申請がなされ、バツ建物についても二月二〇日建築確認申請がなされた。

ところが、本件建物やバツ建物の敷地のある地域は、平成四年法律第八二号による改正前の都市計画法八条一項一号に規定する第一種住居専用地域と定められており、本件建物やバツ建物を事務所や店舗として使用することは、平成四年法律第八二号による改正前の建築基準法四八条一項に違反(用途違反)することになる。このことは、原宿を営業の本拠地とし、周辺に多数の土地やビルを所有する被告はもとより、原告吉野もまた充分認識していたものである。しかし、両名とも、外形上住居仕様の体裁を整えて建築しさえすれば、竣工検査後に、内装工事との名目で実質店舗や事務所の用途に変更工事をしても、原宿という地域の特性上、区役所がそれほど厳格な法規の運用をすることはあるまいとの見通しの下に、計画を押し進めた。

本件建物の建築確認申請書には、一階は浴室、台所等を備えた住居、地下一階は物置、子供遊び場や駐車場とした設計図面が添付されているが、これとは別に実施用図面として、一階及び地下一階を店舗事務所仕様とした設計図面も作成されている。また、申請書添付の設計図面どおり、地下一階に床面積29.70平方メートルの駐車場を設ければ、本件建物にかかる容積率一五〇パーセントに適合するが、実施用図面によれば、右駐車場部分も店舗部分に組み入れられており、法定の容積率を26.473平方メートル超えることになる。

原告吉野と被告は、七月一二日、「建物賃貸借予約についての覚書」と題する書面を取り交わしたが、これには右実施用図面が添付された。

3  本件建物は、昭和五九年五月二一日建築確認通知を受け、その後工事に着工したが、北側土地所有者との紛争等があり、工事の進捗が遅れたものの、昭和六一年五月頃には、渋谷区役所の竣工検査を受けた。ところが、渋谷区役所建築公害部建築課(以下「渋谷区建築課」という。)の担当者は、本件建物の二、三階部分は完了しているが、一階及び地下一階部分は躯体工事のみで竣工とは認められないと判断し、検査済証を下付しなかった。

右のとおり検査済証は得られなかったものの、原告吉野と被告は、五月三一日、貸室賃貸借契約書を取り交わし、正式に本件賃貸借契約を締結し、被告は、本件建物の引渡を受け、保証金三〇〇〇万円も支払った。

被告は、約定に従って、六月頃からまず一階を、店舗・事務所仕様に改装する工事に着手した。一〇月頃には地下一階の改装工事に取り掛かった。ところが、渋谷区建築課は、右地下一階の改装工事が建築基準法に違反する工事であるとして、再三にわたり工事の中止を指示した。しかしながら、被告は、右指示を無視して工事を続行した。

遂に、渋谷区建築課は、昭和六二年三月二〇日、原告吉野に出頭要請をした。このようなことから、原告吉野は、被告に対し、工事を続行することに不快の意を伝えたが、被告は、渋谷区建築課に違反を黙認させるには工事中止は得策ではないとの意見を示し、その後も、工事を続行した。

とうとう、渋谷区長は、四月二二日、建築基準法四八条一項違反(用途違反)、五二条一項違反(容積率違反)等を理由に、同法九条七項の規定に基づき、本件建物の使用を禁止する旨命じ、更に、七月四日には、同法九条一項の規定に基づき、本件建物の使用禁止命令を発した。

原告バツが建築したバツ建物についても、次のような経緯で使用禁止命令が発せられた。渋谷区建築課が、昭和六一年一一月二五日、現場において、施工者の有限会社今井建設に対し、工事の停止と建築主である被告とともに出頭することを指示した。同法四八条一項違反(用途違反)、五二条一項違反(容積率違反)等を理由に、昭和六二年二月五日同法九条一〇項に基づく工事停止命令が、四月二二日同法九条七項に基づく使用禁止命令が、七月四日同法九条一項に基づく使用禁止命令が発せられた。

また、たまたま九月九日には、他のDCブランドの有名メーカーが渋谷区神宮前に建築したビルが、八月一一日付けで渋谷区建築課から用途違反を理由に使用禁止命令を出された旨大きく新聞報道されたりもした。

4  昭和六二年二月中旬頃から、原告吉野の代理人三宅雄一郎弁護士と被告の代理人新井泉太朗弁護士が、両者の紛議を解決すべく交渉を始めた。三宅弁護士は、六月一九日、新井弁護士に宛てて、「容積率違反の点については、現在なお区役所の了解を得るには至っておりませんが、三階部分に抜本的改善を加えることで了解を得られる見込みがついたと言って良いと思います。」「用途違反の点については、区役所の意向を忖度すれば「一階及び地下部分の違反用途スペースを極力少なくすること」により、仮に当地における用途として違反となる面積が残ったとしても、事実上「許す」ことを考えることのようであります。」との手紙を送付した。しかし、前記のとおり、七月四日には、渋谷区建築課から建築基準法九条一項に基づく使用禁止命令が発せられた。

そして、三宅弁護士は、一〇月一六日、新井弁護士に、渋谷区建築課と折衝したところの同課が「一応許すという趣旨の見解」であるとして、三階部分ではなく地下部分の三分の一位を土砂により埋め戻すことにより容積率違反の解消、一階、地下階部分の店舗スペースの大幅削減による用途違反の解消を提案した。しかし、被告は、容積率違反の是正を、二、三階部分の削減で行うのでない限り、用途の問題についても協議に応じないとして、右提案を拒否した。そこで、原告吉野は、被告に対し、昭和六三年五月一一日付けで、本件賃貸借契約を解除する旨の通知をした。

二  第一事件について

1  本件賃貸借契約が履行不能か否かについて

(一)  以上認定したとおり、本件建物の敷地のある地域は、平成四年法律第八二号による改正前の都市計画法八条一項一号に規定する第一種住居専用地域と定められており、本件建物を事務所や店舗として使用することは、平成四年法律第八二号による改正前の建築基準法四八条一項に違反(用途違反)し、現に渋谷区長は、右の点を理由の一つとして、昭和六二年四月二二日、同法九条七項に基づき、本件建物の使用を禁止する旨を命じたものであり、右行政処分に違反し、本件建物の一階及び地下一階部分を被告に事務所や店舗として貸与することは、法の許容しないところであるから、法的客観的にみて、遅くとも、右行政処分が発令された時点においては、本件賃貸借契約は履行不能に至ったものというべきである。

(二) 被告は、本件建物については、二、三階部分を一定面積使用しないことや一階や地下一階部分について形式上住居仕様の体裁を採ること等の是正措置を採りさえすれば、特定行政庁の使用禁止が解かれ、その使用が認められると主張する。

なるほど、一4で認定した、原告吉野の代理人三宅弁護士の六月一九日付けの手紙には、被告の右主張に沿うかのごとき「容積率違反の点については、現在なお区役所の了解を得るには至っておりませんが、三階部分に抜本的改善を加えることで了解を得られる見込みがついたと言って良いと思います。」「用途違反の点については、区役所の意向を忖度すれば「一階及び地下部分の違反用途スペースを極力少なくすること」により、仮に当地における用途として違反となる面積が残ったとしても、事実上「許す」ことを考えることのようであります。」との記載がある。

しかしながら、右手紙は、三宅弁護士と渋谷区建築課との折衝のある過程における、同弁護士が特定行政庁の意向として主観的に理解した内容を記載したものにすぎず、客観的な裏付けが何もない。現に、右手紙が発送されて間もない七月四日には渋谷区長は、建築基準法九条一項に基づく使用禁止命令を発しているところである。また、容積率違反の点が、仮に二、三階部分を使用しないことにより解消されるとしても、本件建物については、用途違反の点が解消できないことは、渋谷区建築課の担当者藤本肇が、証人として明確に証言するところである。もっとも、平成四年法律第八二号による改正前の建築基準法四八条一項、同施行令一三〇条の三によれば、第一種住居専用地域内においては五〇平方メートル以下の事務所又は店舗は許されるところではあるが、右の程度に縮小された賃貸面積では、そもそも本件賃貸借契約の内容とかけ離れ、到底その履行ということはできないことはいうまでもない。

外に、被告の右主張を裏付けるに足る的確な証拠がない。

(三) さらに、被告は、建築基準法及び都市計画法の平成四年法律第八二号による改正の結果、「第一種住居専用地域」の分類が廃止され、本件建物の敷地は、「第一種中高層住居専用地域」となり、右改正法規が効力を生じる平成八年六月以降は、本件建物については容積率及び用途について法規に違反する点がなくなり、使用禁止命令は失効するから、履行不能とは言えないと主張する。

なるほど、乙四一の一ないし三、四六によれば、平成八年六月を経過すれば、本件建物を本件賃貸借契約の内容に従って適法に使用収益することが可能となることは、被告主張のとおりであると認められる。

しかしながら、少なくとも、第一審口頭弁論終結時においては、未だ本件建物の使用収益が建築基準法に違反して許されないことは、厳然たる事実である。

しかのみならず、渋谷区長による同法九条七項に基づく使用禁止命令が発せられたのが、今を去ること昭和六二年四月二二日であり(同法九条一項に基づく命令は同年七月四日)、平成三年八月三一日にも渋谷区建築公害部長名義で、当然のことながら、右命令の効力を前提として、罰則の適用まで注記で示唆したうえ、(1)命令に従い当該建築物の使用を禁止すること、(2)当該建築物の是正計画を早急に提出することとの勧告がなされている(甲二二)。原告吉野は、このような特定行政庁の対応を踏まえ、昭和六三年五月一二日には解除通知を発して、本件賃貸借契約を継続する意思のないことを明確に被告に対し表明したうえ、平成二年八月二七日本件訴訟を提起し、平成七年一一月二八日の口頭弁論終結期日まで四一回に及ぶ弁論期日を重ねてきたものである。このような時間的経過に鑑みると、既に本件賃貸借契約が履行不能により消滅したという法状態は確定したものというべく、長期にわたって訴訟が継続した結果、その訴訟途中において行政法規の改正が行われ、関係者の従来前提とした行政法規の効力に変更を来したからといって、本件においては、もはや一旦消滅した賃貸借契約が再度復活して効力を回復する余地はないものというべきである。

2  使用料相当損害金の請求について

原告吉野は、昭和六三年八月一日から明渡済みまで一か月一五〇万円の割合による使用料相当損害金を請求する。

昭和六一年五月三一日の原告吉野と被告との間の本件賃貸借契約においては、賃料を一か月一五〇万円とする旨合意されたが、右賃料額は、本件建物の一階及び地下階部分が事務所及びショールームとして利用可能であることを前提として決められたものである。ところが、二1(一)のとおり、渋谷区長の使用禁止命令により、右各部分を事務所及びショールームとして使用収益することは不可能となり、現状ではせいぜい改築のうえ住居として使用するか、倉庫として利用するしかないのであるから、一か月一五〇万円の割合による金額が、本件建物の一階及び地下階部分の使用料相当額としては不当に高額であるというほかない。それにもかかわらず、原告吉野は、合理的な使用料相当額がいくらであるかを窺わせるような証拠を提出しない。

そして、被告が昭和六三年八月分から現在までの賃料として月額一五〇万円を東京法務局に供託していることは当事者間に争いがない。被告が、本件訴訟において、右供託の事実を第一事件における抗弁として主張する趣旨を善解するならば、裁判所において本件賃貸借契約が終了したとの判断が下される場合には、右賃料名下の供託金を使用料相当損害金の弁済にあてられることを許容する意思を表明したものと解することができる。

的確な使用料相当額を判断するに足る証拠はないが、少なくとも一か月一五〇万円の割合による金額を相当程度下回る金額であることは明らかである。そうとすれば、被告の供託した金額は口頭弁論終結時までの使用料相当損害金の額を優に上回っていることが認められ、被告の供託の趣旨を右のように合理的に解釈する限り、被告が口頭弁論終結後に供託を中止したとしても、口頭弁論終結後の使用料相当損害金についても相当程度はその弁済にあてられることとなるわけであるから、かかる場合において、口頭弁論終結時までの使用料相当損害金の支払を求めることはもとより、将来の給付請求として口頭弁論終結後の使用料相当損害金の支払を求めることも許されないというべきである。

3  以上のとおりであるから、第一事件請求は、履行不能による本件賃貸借契約の終了に基づき、本件建物の一階及び地下一階部分の明渡しを求める限度において理由がある。

三  第二事件について

1  第一次的請求について

二1(一)で検討したとおり、本件賃貸借契約は、遅くとも、昭和六二年四月二二日本件建物の使用を禁止する旨の行政処分が発令された時点においては、履行不能に至ったものというべきであるから、不完全履行を前提とする主張は理由がない。

2  第二次的請求について

被告は、原告吉野が二階あるいは三階部分を削ることにより、使用禁止命令を解除することが可能であるにもかかわらず、これを拒否したため、本件賃貸借の履行は不能となったと主張し、履行不能の責任が原告吉野にあるとの立場を採る。

しかし、一3で認定したとおり、本件使用禁止命令の理由は、建築基準法四八条一項違反(用途違反)と同法五二条一項違反(容積率違反)との両者であり、二階あるいは三階部分を削ることにより解消するのは、容積率違反の点のみである。用途違反の点が解消可能であったことを認めるに足りる証拠のないことは、二1(二)で検討したとおりであり、かえって、本件建物について、本件賃貸借契約の内容に従った使用をする(事務所店舗部分を五〇平方メートル以下に縮小しない)限りは、用途違反となることは、渋谷区建築課の担当者藤本肇が、証人として明確に証言するところである。

そして、証人豊田豊彦の証言、甲二一、乙二、四によれば、昭和五九年七月一二日付け「建物賃貸借予約についての覚書」一〇条(特約)には、「法的規制等甲(原告吉野)の責に帰し得ない事由により、止むを得ず中止せざるを得なくなった場合」「については甲の乙(被告)に対する損害賠償等は免責されるものとする。」との規定があること、昭和六一年五月三一日付け「貸室賃貸借契約書」一五条(特約)①には、「法的規制等甲(原告吉野)の責に帰し得ない事由により支障が生じても、乙(被告)がこれを処理するものとし、甲にその処理を持ち込まないものとする。」との規定があること、右各規定は本件賃貸借契約が用途違反のおそれがあることを前提として、仲介業者が起案して規定に盛り込んだことが認められ、右のような規定の存在に加えて、一2で認定したとおり、被告は、原宿を営業の本拠地とし本件建物周辺に多数の土地やビルを所有しており、本件建物を事務所あるいは店舗として利用することが、建築基準法四八条一項違反(用途違反)であることを熟知しながら、原宿という地域の特性上、区役所がそれほど厳格な法規の運用をすることはあるまいとの見通しの下に、本件賃貸借契約を締結したこと、ところが、被告の期待に反して、渋谷区長が使用禁止命令まで発するに至った結果、本件賃貸借契約の履行が不能となったものであること、以上の各事実に鑑みれば、被告において、本件賃貸借契約締結の当初から、かかる結果の予見は十二分に可能であり、かかる危険を承知のうえ右契約に踏み切ったものであり、因って来る損害は自ら甘受すべく他にその損害を転嫁することは許されないものというべきである。

よって、第二次的請求は理由がない。

四  第三事件について

一1に認定したとおり、原告バツが、被告が本件建物の一部を事務所、ショールームの用途で賃借すること等を条件として提示して、原告吉野側においてこれを承諾したため、本件土地の売買契約の締結に至ったことは、原告バツ主張のとおりである。

そして、両者の合意に沿って、本件建物が建築され、本件賃貸借契約が締結され、本件建物の一階、地下階部分が引き渡されたものの、結果的には渋谷区長の使用禁止命令により賃貸部分の使用収益が不可能となったことは、一2、3で認定したとおりである。

原告バツは、本件土地の売買契約締結当時、本件建物の賃貸部分の使用収益が不可能となることを知っていれば、本件土地を売却しなかったから、右契約は錯誤により無効であると主張する。

しかしながら、三で検討したとおり、本件建物の賃貸部分を事務所、ショールームとして利用できない理由は、それが建築基準法四八条一項に違反(用途違反)するため、渋谷区長から使用禁止命令が発令されたが故であり、被告は、本件土地の売買契約締結当時から、右違反の事実を熟知しており、昭和五九年七月一二日付け「建物賃貸借予約についての覚書」や昭和六一年五月三一日付け「貸室賃貸借契約書」の作成にあたっても、これを前提として原告吉野の責任を免除するかごとき規定をわざわざ盛り込んでいるほどであり、被告の渋谷区役所がそれほど厳格な法規の運用をすることはあるまいとの見通しがはずれた結果、本件建物の賃貸部分の使用収益が不可能となったにすぎず、使用禁止命令の原因となる事実関係を全て認識したうえ本件土地の売買契約に臨んでいるのであるから、原告バツには錯誤がない。

よって、原告バツの請求は理由がない。

(裁判官生島弘康)

別紙物件目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例